認定ロルファー™の利香です。 わたしがロルフィングに出会うまでのエピソードを綴っています。 これまでの経緯はこちらでご覧いただけます。
・ロルフィングと出会うまで(2) ー「軟骨は再生しないんです!」と叱られる
初めてのロルフィング
2014年のゴールデンウィーク直前から、わたしの初めての10シリーズが始まりました。
10シリーズをお願いしたロルファーの大友さんは、なんと7月には山形へ越されるということで、毎週1回のペースで全部で10回に及ぶセッションを受け終えるにはギリギリのタイミングでした。
コンセプトが理解できなかった
大友さんからロルフィングが人の体をどう捉えているのか、どういうことをするのか、そんな説明を受けましたが、当時のわたしはほとんど理解できていなかったと思います。
言葉が難しかったわけではありません。 まったく新しい視点だったので、いくら説明を受けても「????」だったのです。
テンセグリティ?重力? 整体なのになに言ってるの?
理解が追いつかないけれどたぶんきっといいことが起こるに違いないと思っていました。
足のセッション
通常の10シリーズでは、1回目のセッション(セッション1と呼びます)のテーマは呼吸の改善です。
が、わたしの場合は呼吸よりも先に足・脚に集中するセッションになりました。 回でいったら2回目のセッション(セッション2)のテーマです。
大友さんはわたしの体や動作をみて、呼吸よりも足の方が先に着手すべきと判断なさったんですね。 その説明も受けたのですが、「ふーん??」としか思わないわたし…(ひどい) そんなことより、今までうけたどんな整体やマッサージとも異なるセッションに呆然となっていたのです。
触れているだけなのに変化する体
「ロルフィングも整体の一種なら、やっぱりゴリゴリ痛いことするんじゃない?」と思われる方も多いです。
日本はクイックマッサージから伝統的な指圧まで、イタ気持ちいい文化が浸透しているので、「コリをほぐすのはイタ気持ちいいぐらいが効く」と考える方も多いです。 痛いのを我慢してこそほぐれる!みたいな先入観です。
わたし自身もそういう思い込みがありました。 だから、ただ手を触れているだけなのに、体が変わってゆくことに戸惑いました。 大友さんのワークは、組織が変わってゆくのを最初にちょっと促したら、じっくり待つ。で、変わってきたかこないかのタイミングでまたちょっと促す、というような実に穏やかな手技がメインでした。
あれ?痛くないのに変わってる?? と、毎回、狐につままれたような気分になってました。
また、回が進むにつれて、目を閉じてワークをうけていると色々な色や光が見えるのも面白かったです。おそらく神経に関係することなんだろうと思いますが、脳科学者ではないので残念ながら十分な考察はできません。(これは見えない、感じない人も多い現象です。ロルフィングを受けたら光が見えるというわけではありません)
杖を使わずに帰った4回め
4回目のセッション(脚・足への施術)の後、ふと杖を使わずに坂を下ってみて、そのままJR岡本駅まで15分ほどの道のりをてくてくと歩いてみて、「ああ、歩けている…」と判ったときの安堵と気持ちの高揚を、今でも憶えています。
当時のわたしの状態は、杖がなければ一切歩けないわけではなく、「ちゃんと歩けないのに杖がなかったらどうしよう!」という恐怖心から杖が手放せなかったという側面も大きかったかもしれません。
恐怖心が体をすくませて動作をぎこちなくさせ、余分な筋肉を使って疲れさせ、それが疲労や痛みになり、更に自信を失わせ恐怖心を煽るという、負のループに突入していました。それがロルフィングで解除されたのです。
その後、通勤時に念のため「わたしは急な動作はできません」の目印になるかと思って杖を持つことはあっても、すぐにやめてしまいました。 解放感は限りなく、文字通り一歩一歩のあゆみが自信になり、そこからどんどん体は変わってゆきました。
当時の私と同じような制限を感じている人がいるのなら、ぜひロルフィングを選択肢にいれてほしいです。試してみる価値はあります。
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