認定ロルファー™の利香です。昨日の「ボディワーカーに英語は必須か」に続き アメリカのコロラド州ボルダーにある Dr. Ida Rolf Instituteに「留学」 しようと決めた時の話を今日は書きます。
中年程度なら年齢は障壁にはならない
ロルファーになろうと決心した時、 わたしは43歳でした。 その年の12月で44歳になり明けて2015年1月から単身渡米したのですが、このお話をするとまずその年齢で驚かれます。
が、なにかを学ぼうと思った時 年齢は障壁にはなりません。 外国で、かつ単身でとなってくると さすがに70歳を超えていたら 健康面や身の回りのサポート等について それなりの準備が必要で大変だとなるでしょうが、40代ではなんら問題ないでしょう。
わたしの場合は、「親の介護も今は不要。 うちは子どももいないし、 自分の脳が新しい環境で 新しい分野の勉強を始めるのに 適応できるとしたら今が最後のチャンス」 そう考えて渡米を決めました。
留学経験のないわたしが出発までにやったこと
とはいえ、現実問題として 英語圏で暮らしたことも学んだ経験もないのは事実です。
誤解を招かないよう、 わたしの英語能力の背景を説明しておきます。
幼少期から英語は身近だった
日常生活の中に英語の幼児用番組、 英語の絵本、日本語字幕での洋画、 そういうものが溢れている家庭で育っています。
中学、高校での英語の成績は常にトップクラスだった
母が英語の教師だったので 家庭でも英語教育は容赦なく、中学3年間、 朝食後に10分間の小テストをうけて通学してました。 テストで87点などとろうものなら そらもうどえらい目に遭います。
塾も、英語に特化した進学塾に高2から通っていました。この塾が厳しくて、入塾テストの結果、わたしは数ヶ月高1クラスに通うことになりました。井の中の蛙のちっぽけなプライドがへし折られた苦い経験です。
そんなこんなで高校では教師のほとんどから わたしは翻訳者になると思われていました。
資格取得のためにダブルスクール通い
大学は国文科に進みますが 大学入学後もダブルスクールで 資格試験のために英語を学んだり (当時は英検が全盛期) しておりましたが、その後、英語からは離れます。
「英会話できない病」の社会人時代
就職後は、海外代理人との通信、 いわゆるビジネスレター英語に 接することはあっても会話の機会は皆無。 気がつけば英語が一言も発話できないという 深刻な状況に陥っていました。 本当に、漫画のように 「あーーーーうーーー」となるのです。
渡米前の43歳の私の状態は 書かれた英文を読むことはそこそこできるものの、英語では話せない・聞き取れないというものでした。
オンライン英会話学習をやってみた
ここを補うため、渡米前の2ヶ月は オンライン英会話や英語カフェで 英語だけしか使えない状況の疑似体験をしていました。 今にして思えばあれは 心の準備の役には立ちましたが あんまり実用的ではありませんでした。 なんといっても2ヶ月しかやっていないのですから それも当然です。
しかしやらないよりはやっていたほうが はるかにマシだというのも事実です。度胸がつくというのもそうですが、咄嗟に英語が口から出てくるようにはなりました。
もし英語による会話の経験がほとんどないのであれば、 オンライン英会話や、ネイティブの英会話教室、 できることなら英語ネイティブの友だちと 英語のみで話す機会をたくさんもつのをおすすめします。
今はAIでの言語学習用アプリもあります。AI相手ならひとりで恥かき放題なので、日本人には向いているかもしれません。
解剖学用語を英語で暗記
もうひとつやったのは 解剖学用語を英語で暗記することです。
当たり前ですが、解剖学用語は ボディワーカーの共通言語。 これができていないと授業にはついてゆけません。 HONETAN(骨単)、NIKUTAN(肉単)を始め ロルフインスティチュートから提示された 参考図書(洋書)をAmazonで買い求めて ひたすら暗記しました。
わたしの場合、解剖学初心者でもあったので、 最初から解剖学を二ヶ国語で学ぶというスタートをきることができました。 すでに理学療法士やトレーナーとして日本語で解剖学を学び、身につけて 日々使っている方に比べ、 これはハンデとも言えます。しかし、モノの名前を憶えるとき同時に二カ国語で学んでしまえるのでとても効率的でした。
長くなりました。 明日は実際に渡米してからのことを書きます。
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