「自分がされて嫌なことは相手にもしない」というのを心がけるのは、悪くはないけど落とし穴もあります。なぜなら、それはあなたの感覚を基準にしてしまっているからです。
この理屈は、裏を返せば「自分がされても嫌ではないことは、やってもいい」となります。
「わたしにはこれは嫌なことではないから」という理由で、あなたにとっては不愉快な事をぐいぐいやってくる人がいたとしたら、やはり嫌なものは嫌ですよね。
人との関係で最も大切なのは「相手が嫌だと感じることはしない」。
これに尽きます。
動物とのつきあいでは、「うちの猫は抱っこが嫌い」「うちの犬は帽子を被った人が苦手」などを把握して、極力ストレスを与えないように接していると思います。嫌がること、怖がること、不快で怒ってしまうことは避けるようにしているはずです。それを人間相手にも適用するだけです。
嫌なことやその度合いは人によって様々なので、自分だけに基準を置いていると相手に負荷をかけることになります。
されたら嫌なことを明確にするのがお互いにとって大事です。残念なことに、とかく我慢や協調性を重視する社会では、空気や人間関係が悪くなることを恐れて人知れず不満を募らせる羽目になります。
特に職場や家庭では、「これがここでの常識なんだ」「この人たちとこれから先何年もつきあうんだし」と思って我慢してしまう人が多いのですよね。
わかります。わたしもそうでした。
だけど言わずにいたら誰にも伝わらない。それはすなわち自分にとって嫌な状況・行為を肯定したことになり、そんな状態が続くことになります。
嫌だと感じることには嫌だと言っていいし、相手がそうすることも認める。
人間関係を快適にする基本はこれです。
自分をどう扱って欲しいのかを伝えるのは悪いことではありません。これは誰も代わりにはやってくれませんので、察してもらえるのを待ち続けるより、その都度、悩みながらでも言葉にして伝え合うのが理想的です。
「そうは言ってもつい黙ってしまう…」という人は、身体を整えると、スッと主張できるようになる可能性もあります。
身体の感覚と感情は繋がっていて、感情は言葉と繋がっています。身体から変わるのもありです。
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